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☆★☆ 渋谷うなぎ体験 ☆★☆ March 6, 2015

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あかたろうの事務所のミーティングのあと、渋谷で、夢花とチヨと渋谷で合流し、ふたりの行きつけのうなぎやさんで夕ご飯。ここはうなぎ屋といっても、やきとりのように、いろいろ串焼きになっていて、お店は満員、タバコの煙がすごくて、さすが日本だと実感。

わたしのブログを読んでくれていた夢花とチヨが、中国に行きたくなった!とかれに熱っぽく告げると、「いいよ、守るから」と難なく突破されていたが、六本木ヒルズのサロンでト三ツ星ネイリストとして働く夢花と、今日は”嵐”の撮影を30分で30カット撮ってきたという新進フォトグラファーのチヨのカップルの姿を、広州のかれの村に描いてみたが、どうしてもうまくいかない。

「それで、、その新鮮な鳥、うまそうですね!」とチヨに言われて、かれの家の食卓が思い出された。あきらかに異なる時間の流れがそこにはあり、どんな味だったのかを説明しようとしても、味覚に触れてくるものとまた別の味わいがあるので、それを言葉にするのは思いのほか難しくて、私は話題を変えた。

かれは「おいしいよ、これ」と無邪気に食べ続けている。

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☆★☆ あかたろう ☆★☆ March 5, 2015

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一昨年、日本で出版したアカシックレコード自己ヒーリングの本、「光の鍵」の装幀をやってくれた長年の友人、デザイナーのあかたろうの事務所に、今書いている小説と、バンクーバー在住の大河内穂子さんの本の出版の相談で、彼を伴った。あかたろうに言われた金属製の香炉は見つからず、中国からのお土産はお父さんにもらったプーアールティにさせてもらったのだけど。

あかたろうは、彼のために、いろいろなおもちゃを出してくれて、フィギャードールはもちろんだったが、特注したという、使い込んだ鉋の刃を溶かして作ったハンドメイドの小刀の職人技に、彼はしばらくみとれていた。やはりあかたろうは半端なマニアック人間ではない。それにしてもどの小刀も両刃、片刃ともに、切れ味よさそうだなあ。

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☆★☆ アキハバラ ☆★☆ March 4, 2015

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羽田に夜到着し、そのまま今回短期で借りた巣鴨のアパートに。巣鴨って今まで降りたところもない駅だけど、駅から2分でとっても便利、通りも広くて、中国の村からの移動としては気持ちにそれほど無理がなかった。私の麻布十番の実家に泊めてあげられたら一番よかったのだが、近くに人がいると決して安眠できない彼を泊めるほどの広さはない。今まで、神経質なやつだと思っていたが、あんなに広い家で育ったのをみたので、今はそれもうなずける。

アニメオタクが一番行きたいところは、もちろん秋葉原。翌朝一番で直行。万歳ルフィーを見つけたが、これは出たばかりでソールドアウト、入荷予定未定で、どこにもないだろうという返事だった。だが、かれは2日続けて中古フィギャーショップをくまなくまわり、ついに3個ゲットした。

わたしはワンピースキャラクターのなかでは、ルフィーに覇気を教えた先生、シルバー・レイリーが、チョッパーの次にお気に入り。最高にクールなレイリーをゲットした!!イエーイ!!日本滞在とりあえず3日間は順調。

☆★☆ 一路日本へ ☆★☆ March 3, 2015

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彼の部屋は、7年前と同じ状態に保存されており、壁には、お気に入りのイラストがはってあった。私は最後にそれを写真に収め、広州をあとにして一路日本へと向かったのだが、飛行機のなかでは、空港行きのバスを見送った、お母さんとお父さんの張りつめた涙顔が浮かんでは消えて、消えてはまた浮かぶ。少年時代から夢見ていた憧れの日本に彼を連れて行くのだ。東京滞在が一週間、そしてJR乗り降り自由の一週間のJRパをつかって、大阪の友人の家に泊めてもらいながら、京都や奈良を見せる予定で。

お母さんとお父さんにハグしろ、と何回もうながされて私はしたけど、思えば彼は一度もハグしなかった。ドライバーにせき立てられて急いでバスに乗って見送られて、家族とのあっけないお別れ。

いつか日本に行きたいという彼の従姉妹も同乗したお父さんが運転する、彼の家から空港行きのバスが出る広州までの車の中で、彼が急に、私になにか歌を唄えと言う。急に歌と言われても、、、、思い出せた歌は、「五木の子守唄」。それでいちおう唄ってみたのだけど、、、。

♫おどま 感じん 感じん あん人たち よかしゅ よかしゅ よか帯 よかきもん。おどま 盆切り 盆切り 盆から先きゃあ おらんど 盆が はよ来りゃ はよ帰る♫

もちろん誰も意味はわからないけど、みんなうなずきながら、なんだかシュールな空気になってしまい、二番までで止めた。

隣の座席でアニメを観ている彼を意識したとたん。突然、わけのわからない感情がやってきた。これから着く東京という街。私が生まれ育った街。世界で一番エキサイティングと言われる街。そこでなにを見せたらいいのだろう。すごく不安になった。人の心も衣食住も、あんなにもピュアでナチュラルな村から、真逆のところに向かうのだけど、いったい彼を楽しませることができるのだろうか?どこに価値があってどこに真実があるのか、、、!?なんだか本当に混乱してきた。

子供版彼である品財でわかるように、そういうことには敏感な彼が、どうしたの?ときいてきた。まずいよ、ほんとに。ここで私が自信持たなくちゃこれから案内しなくちゃならないのに、、、。動揺しながら、つい正直に、「あなたに日本で楽しんでもらえるかどうか自信がない」と告げてしまった。わああ、やっちゃった。

「なんでもいいよ。ぼくはちゅううごくじんだから」

この、いつも口癖のかれの日本語のなんと温かかったことか。

☆★☆ China 最後のディナー ☆★☆ March 2, 2015 

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明日は日本に発つ日。今日は最後のディナーだから親戚一同集まるよ。外に出る支度をしててね。と言い残して、彼はまた出かけてしまった。私はもうパッキングも済ませたので、すっかり暇で、夕方までどうやって過ごそうかと、途方にくれていた。するとそこに今日初めて幼稚園に行った品財が帰ってきたのである。彼が私をバディと位置づけてから、私には居場所ができて、品財さえいれば、疎外感にさいなまれることもまったくなかった。品財はカナダからのお土産の、ガスタウンの写真が張り付けられたマグネットを手にもって3階にあがってきた。

それから果てしもない冒険の遊びが始まった。品財は私を従えて、家中のものにマグネットを試していった。一見金属と見える物もじつはほとんどがアルミのことを発見してみると、マグネットが装着するところはほとんどない。品財は、壁や床や木の棚や、あらゆるものに試していく。荷物置きになっている部屋にもふたりで入り込み、ついに金属の古い金庫を発見!そしてなんと品財は、あの、「福」が逆立ちしている開かずの間もなんなく開けて中に入れという。意を決して入ってみると、ベッドがあるにはあるが、その部屋はすでに物置になっていた。そういえばお祖父さんもお祖母さんも長く病院にいたのだった。品財の探索はソファーの裏や、ドアの隙間にも及び、気づいたときには、家全体をくまなく見てしまった。途中、かれはチョコレートを発見し、中からチョコを二つ取り出して、どっちがほしいかと聞くので、一つを選んだら、あとはしまってしまう。食べないの?と聞くと、口を開けて小さな歯を見せた。虫歯になるので、禁じられているらしい。

品財の遊びは次々と変わるので、面白くてたまらない。ゴルフボールを見つけて、V字型に足を広げて、向かい合い、内股でボールを蹴って相手の陣地に飛ばすという新種のサッカーをしたり、卓球台のところに、腹筋マシンを滑らせて近づけ、そこを伝わってふたりで卓球台に上って、ゴロゴロする、そのあとは、かくれんぼになり、気がついたときは、全身ほこりまみれで洋服は白くなっていた。入り口のあたりがにぎやかなので3階から下を見ると、庭にテーブルがセットされていて、ひとが集まってきている。豪華レストランディナーだと思い込んでいたが、実はお家ご飯だったのだ。私はほこりまみれのまま、最後の晩餐に参加したが、すでにかなり外は薄暗くなっていたので、誰も気がつかなかった。中国大陸最後は、品財との遊びと庭の大騒ぎで幕を閉じたのだった。          

☆★☆ China 広州 ☆★☆ March 1, 2015

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最後から2番目のディナーはまたホットポットだった。お父さんもエプロン姿で素晴らしく細かいショウガのみじん切りをして、庭のチキンは一羽もいなくなり、大量の野菜たちも勢揃いし、今度は豚の皮も加わり、ワイルドさが増している。彼がディナータイムより遅れるということだったので、食べ始めることにした。よく見ていると、お父さんはみんなにとりわけてばかりでちっとも自分は食べない。ひそかに息子を待っているのだった。宴も半分ほどすすんだ頃、彼が帰ってきて、私に急いで食べ終わるようにと言う。私はすでに食べ終わって、品財にもらったおせんべを食べていた。何かと思ったら、食事のあと連れて行きたいところがあるのだと言う。最後から2番目の夜、みんな彼とゆっくりすごすことを期待しているに違いない。しかしそんな空気もまったく気にしていないのか、「きっとびっくりするよ、気に入るよ」とご機嫌ですごい勢いで食べている。みんなにわたしを連れて行きたいところがある、と言ったようだった。そしたらお母さんが、「私も行きたい」と言い出したらしい。いつも決して自分を主張したりしないお母さんなので、これには彼も驚いた様子だった。

彼が食事を終えて、お兄さんが近くの地下鉄の駅まで車で送ってくれ、私と彼とお母さんの三人は、そこから30分の広州ダウンタウンに出かけた。初めての中国の夜の顔は、ネオンがとても元気で、人出もあり、活気にあふれていた。お母さんは混んだ地下鉄の中で、電車に乗り馴れていないひとの様相を呈して、終始落ち着かない様子だったが、少女のような好奇心にあふれた目をしていた。シートに座るのは力づくらしく、老人がいようが子供を抱いているひとがいようが誰も席を譲らない。立ちっぱなしで、広州に着き、駅から5分ほど歩いたところにびっくりするような広い広場があった。広場全体にライトが走っていて、四方に銀行やホテルや背の高いビルのライトアップがされている。広々としているところがいい。中国のお正月らしいイルミネーションもチャーミングで、初めてここを見るお母さんも目を輝かせていた。

☆★☆ China 品財 ☆★☆ March 1, 2015

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彼はこのところ毎日出かけている。幼稚園時代、小学校時代、中学時代、高校時代、次々と同級生たちからお呼びがかかり、きのうから大学時代の友達に会いにいっている。彼がいないと、さすがにまったく家族と話を出来ない。お姉さん夫婦は少しは英語は話せるが、私の話す英語はほとんど理解しない。お母さんとお父さんにはもちろん英語は通じない。朝食のあと、がんばってダイニングにいたのだが、ふと疎外感を感じて、自分の部屋にあがった。食事のあとは眠くなるからランチまで昼寝をすることにして、蚊帳の中に入ると、安心感とともに疎外感がさらに増した。階段にあがりしなに、お兄さんが気をつかってわたしのために葡萄をお皿に載せてくれたのを一房もらってきたが、ひとりで部屋で葡萄を食べる気もしなかった。

蚊帳の中にいると特別な気分になる。こんなふうに中国に来ていることが急におかしくなったり。そうしているうちに眠ってしまい、目が覚めたらまだ11時だった。ランチまで一時間ある。気をとりなおして、葡萄を持って下に降りると、家の中には庭で、スープを炊いているお母さんと、品財しかいなかった。

品財は私を見ると、なぜか駆け寄ってきた。今までまったくフレンドリーなところはなかったのに。そして足押しカーで、座っているわたしのまわりをぐるぐる回る。驚いたことに彼は私の心をよんだのだ。それから彼は葡萄を食べている私に、いろいろなお菓子を運んで来て、そのあと、くちをあんぐり開けて何かを示したのだが、なんだかわからない。お母さんが察して、きれいに洗われた葡萄を私と品財の間に置いた。そうか、葡萄をくれという意味だったか!

品財は歓声をあげて、私をちらちら見ながら、私がしているように、大粒葡萄の皮を丁寧にむき始めた。葡萄は巨峰程の大きさで、皮をむくと透明な薄青色、それを太陽にかざして、私に微笑みかける。次に彼は、葡萄の種をとりだして、遠くに放り投げた。皮はもちろん、そのまま床に散らばっている。へ〜ほ〜というような声を出して、種を投げながら私をちらちら見る。私はだまって葡萄を食べ続けた。品財は、葡萄の種を一粒私の手に乗せた。それでわたしも種を遠くに投げてみた。これがなかなか面白く、どんどん種を投げた。品財は自分に一つ、私に一つ渡し、皮むき競争と種飛ばしは熱を帯びてきた。そのあとはもちろんお母さんがモップとほうきで、あっというまに庭はきれいになる。

そのあとはサッカーをしようということになり、(この頃になると、彼は中国語でしゃべり、私は英語でしゃべり、話は通じるようになっている)ふたりでボールを蹴っていたら、お母さんが品財に外にいるなら寒いから長袖ジャケットを着るようにと走り寄ったので、品財は肩をすくめて、「じゃ、テレビでも観ようか!?」と目配せして、ふたりでテレビを見ることにした。

ランチタイムに帰ってきたお姉さんが、なにか品財に怒っている。宿題を言いつけたのにしていなかったのだ。ご飯は抜きだということになり、私たちは食事を始めた。そういえば、お母さんとお父さんはやたら品財をだっこしたり遊んだりするけど、公認会計士をしているお姉さんはとっても厳しい。特に勉強に関しては、徹底している様子だった。彼はまだ4歳半なのに。

品財はしかられて泣きわめき、お母さんが抱きしめようと近づいたら、「甘やかさないで!」というようにお姉さんが怒鳴る。私はおそるおそる、彼が宿題をできなかったのは、ひとりでいた私に気遣って遊んでくれていたからなの、と言ってみたが、通じている様子はなく、結局彼が宿題を終わるまで、ランチはお預けになったのだ。中国式英才教育はさすがにすごい。

☆★☆ China あと2日の中国 ☆★☆ March 1, 2015

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中国行きの話が出たのは半年程前だった。

移民からカナダの市民権をとった彼が23歳の時に離れた中国に7年ぶりに家族に会いにいくから一緒に行く?と私に冗談めかして言ったのだ。

フットワークは軽いほうだが、流石に躊躇し、一瞬返事をすることができずでも次の瞬間、「行く!」と言っていた。

今度は彼が黙る番で、「う〜ん」としばらく考え込んでいたが、意を決して「じゃ、これだけは約束してくれ。 家からでる時にはぜったいボクのそばを離れないで」

私の一瞬の躊躇は、実は彼の家の外というより、中にあった。

一族の長であり、村にも絶大な影響力を持つ彼のお祖父さんは、子供の頃、目の前で、父親を日本兵に水を飲まされ続け最後はお腹が破裂して死ぬというなぶり殺しにされた戦争経験者で、新年の冒頭には一族にその話をするところから一年が始まると聞かされていたのだ。

彼はお祖父さんの意図に反して、小さい時から大の日本アニメファン。ドクタースランプから始まってありとあらゆる日本のアニメの歴史をさらっているオタクに成長し、いつか日本に行ってみたいと夢見るようになった。

果たして中国は私を迎え入れるのだろうか!?素朴な疑問である。

しかし彼はこともなく、「家族は大丈夫だよ、きみをぼくのファミリーだと言えば、ファミリーとして受け入れてくれる」彼の言うファミリーのニュアンスは正直今もわからない。現にいまゲストとしては受け入れられているが家族の一員としての感触はないし。

 

バンクーバーのあらゆる友達に中国行きのことを話した。

中国では外国人が来ると、必ず見張りが立つというひともいた。

電話を盗聴されたり、無実の罪で嫌疑にかけられたりすると教えてくれたひともいる。何年か前に酒場で日中友好を訴え、殺された日本人の話もきいた。

だれもが私を案じて、いろいろな情報をくれたので、頭は正直千々に乱れたりした。しかし20年前に単身中国広州を旅した経験を持つ女友達がいて、中国人がどんなに懐がふかく意味深い旅が出来るところであるかを語ってくれたりもした。

 

私の頭の中では想像が行き交い、着いたら見張りが門口に立っている、中に入るとお祖父さんがライフルを構えている。あるいは彼の手前、フレンドリーに振る舞うが、夜中の襲撃の相談がまとまっているなどなど。

最後はなんでもいいからなぶり殺しはやめてくれ、やるなら一息にお願い、と悲壮な願いも持った。

近い友人に、彼に家族から届いた郵便物の住所をコピーして渡し、なにかあったら救出を頼むと言い残してきた。一思いに殺されるならいいけど、監禁されて檻の外では美味しい広東料理が並び私には与えられないなどは、食いしん坊の私にとっての最大の拷問、と最悪の想像も浮かんで来た。

それほどまでしてどうしてこの旅に踏み出したのかと不思議に思うひともいるだろう。そして本当に危険がなかったとは言えないのかもしれない。単にこの村は見張りが立つ程大きな村でなかったのかもしれないし、彼が観光をためらったのもリスク回避がその理由だったのかもしれない。この村の周辺には戦争中、日本兵が行った惨劇の記録がまだそこら中に残されていると聞いている。

日本以外のアジアに行ってみたことのなかった私は、ミステリーワンダーランド中国を体験するという好奇心に勝てなかった。そして本当に来てよかったと思っている。今となっては彼のお祖父さんにも会ってみたかったが、残念ながら彼の到着を待てずに昨年末にお祖母さんともに天に召されてしまった。

お祖父さんの戦争体験が語られていたハッピー・ニュー・イヤーの日には、一族の前にはお祖父さんの変わりに、日本人のゲストが登場したのである。

バンクーバーを出発する前に、彼と兄弟の契りを結ぶ儀式をした。儀式といっても口上を述べてオレンジジュースで乾杯しただけだけど。この儀式でルフィーとエースのように血と国の境を超えて、私たちはソウルフルなつながりを確実なものとした。

中国滞在もあと2日を残すところまできた。彼は私を中国で守っ た。この旅のあとは2週間、彼を憧れの初めての日本に伴う。今度は反中感情の高まっている日本で私が彼を守る番だ。

☆★☆ China 時空のゆらぎ ☆★☆ Feb. 28, 2015

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わたしはいつまでもこの迷宮の中で遊びたかったのだが、ランチの時間が近いので、バスに乗って村まで帰らなければならなかった。大通りに出てバスを待っているあいだ、めまいを感じて、それから頭痛がやってきた。あまりにも興奮しすぎたためか、迷宮ならではの時空のゆらぎにやられたのか!?

彼の家に着いて、旅に出て初めて鎮痛剤を飲み、ランチまで爆睡した。

☆★☆ China タバコ売り ☆★☆ Feb. 28, 2015

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これは今回の旅の最大のヒットショットだと思う。どうやって吸うのかは知らないが、なんてクールなタバコたち!!タバコは匂いも煙も苦手だけど、ここには釘付けになった。

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☆★☆ China やはりチャイナは迷宮 ☆★☆ Feb. 28, 2015

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少し英語の出来るお姉さんが、「あと3日ね」と夕食のあとぽつりと言った。

みんなすっかり黙ってしまって、私はあやうく涙ぐみそうになり、全力で止めた。マガジンの3月号も無事終わり、中国からyoutubeがアクセスできないので、未完成のページがあり3月3日の東京着まで告知はできなけど、おかげでたっぷり余裕の中で、編集作業を終了することができた。

さすがに日本の実家へのお土産をゲットする必要に迫られて、それと東京で会うことになっている、私の人生史上最高レベルにマニアックだと思われる長年の友人のデザイナーからメールが入り、お土産お茶でいい?(わたしはお父さんからもらった最高級と思われるお茶にしようと思っていたが)という私のメールの返事、、、、「中国茶は毎日飲んでるけど、お気にいりの銘柄があるので、では小振りの、蓋付きの金属製の香炉を」とオーダーが入り、どうしても香炉探しにいかなくちゃならなくなった。

前にバンクーバーからのお土産をきいたら、「瓶入りのコカコーラ」ということで、バンクーバー中を走り回り、やっと見つけて一ダース買っていったことがあり、あのときも苦労したけど、今回も苦労しそうと思いながら、彼に相談した。

お父さんとお母さんが、それなら一番近い町(2日前に行った)にある、ということで、車で送ってもらった。この前はメインストリートを歩いただけだったが、今度は彼はどんどん細い裏道に入っていく。、、、、、、すると、、、、、そこに、あったのだ!!!私が求めて描いていた古きよき中国の姿!!!ガレージのような作りのスペースに、いろいろな店が並んでいる。文房具店、お茶のお店、簡易食堂、老人会会館、地面でタバコを売っている、何のお店かわからない不思議店もある。このディスプレー、色使い、雑然としたなかにも、個性と秩序を感じる品揃え。すべてがイメージどおりだった!!!見たこともない三輪バイクも走っているではないか!

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☆★☆ China コントロール意識の根源 ☆★☆ Feb. 28, 2015

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彼は、わたしが”コントロール・アレジー”とよぶほどの、コントロールに過敏なので、いったいどれほどボッシーな両親なのかと思って来てみたら、ふたりともまったくそのような押さえつけるところのないひとたちだった。そこで彼の”コントロール意識”の根源を探ることにした。(なにしろどこにも観光に連れて行ってもらえないので、要は暇なのである)

お母さんはいつも孫の品財のチョッキ、長袖ジャケット、長袖カーディガンを持って品財のあとをついていく。片時も目を離すことはなく、転びそうになれば、大声で叫び駆け寄り、危ないことをしていれば、すぐに近寄ってやめさせる。汗をかいてようが暑がっていようが、ベストを着せたり脱がせたり長袖にしたりカーディガンを着せたり、実に忙しい。少しの気温の変化にも敏感で、それは私に対しても同じこと。一日に何回も寒いのではないか?上に着なさい、と注意されて、いやおうなく3階まで階段を駆け上り(おかげでかなりヒップアップには貢献)上着を持って降りて着ざるを得ない。品財はいつも暑がっていて、時々聴こえないふりや、水を飲み続けて、なんとか逃れようとするのだが、そこはやはり根が素直で最後には笑顔で従うのだった。

たしかにここの気候は変わりやすく、温度も一日のうちに刻々と変化しているのを感じる。しかし素人目に見ても、これでは子供は変化ということに対して過敏にならざるを得ない。中国の一人っ子政策は、息子を溺愛し大事に育てる基盤を作った。マッチ棒みたいな体型の彼は、子供のころ、腸になんかのビールスが入り、一年間入院した体験を持っている。菌に対しても耐性が育たなかったのだろう。

王子さまのように大切にされて育まれた彼が、カナダというまったく生活習慣の異なる外国で、自分をキングとして保ちながら毅然として生きようとしてきた7年間の心痛と労苦をうかがい知る今日この頃なのだった。貧財、きみの未来はどんなかな?!

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☆★☆ China ゴミの行方 ☆★☆ Feb. 27, 2015

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家の中にはゴミ箱がない。中庭の片隅に大きなペンキの空き缶があって、ゴミはそこに捨てる。食事が終わるとテーブルの上は大変なことになっている。みんなテーブルの上に、骨や種や皮やなにもかものっているから。食事が終わると、ゴム手袋をはめたお姉さんがテーブルの上のゴミも食べ残し(時には大量)もひとつのお皿に入れるのだが、ゴム手袋で上手に残り汁もこすり落とす。そして庭から空き缶をもってきて、そこに水物も一緒に全部いれる。プラスティックなどもすべてその缶の中に収まるのだ。

食器を洗う時はすでにかなりきれいな状態になっているので、これならあまり排水を汚さないだろう。醤油一滴がどれほど海を汚染するか、前にテレビで報じていたが、毎食のことだから、環境にはかなり優しいことをしていることになると思う。

そのゴミをいれた缶は、一日に何回も、通りにおいてある大きなコンテナに捨てにいくから、ゴミが臭うことはまずない。そして床にはゴミ一つ落ちていない。隅や納戸の中は埃がすごいけど、一見は家中とてもきれい。

中国人はゴミをどこにでも捨てると聞いていたので、これにも驚いた。

生活にはさまざまに工夫が見られる。蚊取り線香は巻き巻きタイプではなく、棒状なのだが、それは大きな甘夏みかんに立てるようになっていて、灰が床に落ちないようになっている。そして部屋のなかはさわやかな甘夏の匂いがいつもしている。

通りは朝早くからいつも誰かが掃いているから、爆竹の残骸もすぐにきれいになっている。

聞くと見るとは大違いだとつくづく痛感している毎日だ。

☆★☆ China 愛なのかコントロールなのか? ☆★☆ Feb. 27, 2015

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家族が集うのは2階のリビングルーム。私と彼が使っている部屋のある3階には、両親もお姉さんも決してあがってこない。この徹底してプライバシーを重んじる姿勢に、驚く。中国人の奥さんをもらったら、いつのまにか両親、兄弟がやってきて住んでいて、朝トイレで座っていたら、義父さんが歯磨きをしに入って来て、話しかけられた。というアメリカ人男性の嘆きの記事を読んだことがあったので、そういうへだてのない関わり方が中国人の特徴なのだと覚悟していたが、この節度ある距離感が心地いい。

ティッシュを多用する私のために、隣に座って、わたしがいつも手を延ばせる距離の椅子の上にティッシュの箱を置き、自分はその椅子で半座りで食事をするお母さん、弟のために7年間分のお年玉をためておいたお姉さん(そのおびただしい赤袋の数に驚いた)。息子の大事なゲストのために、最高級のお茶を買ってくるお父さん。本当に素晴らしい家族。

昨夜、遅く帰った彼が、激怒して私の部屋にやってきた。聞けば、携帯を持っていなくて彼に連絡がつかなかったお姉さんとお母さんが、帰りの遅い彼を心配して、お姉さんは彼のIDを使ってチャイニーズの人たちのソーシャルネットワークを通して、彼の友達みんなに彼の居場所を聞いたのだという。

「明日はぜったいどこかに泊まって来てやる。コントロールはいやだ!ボクはもう30歳なんだから」と怒っている。大事だから心配することとコントロールはどこにその境界線があるのだろう。愛はいつも難しい多層な表情を持っている。

☆★☆ China 本当の中国の姿 ☆★☆ Feb. 27, 2015

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アジアを旅したひとに、屋台のご飯がおいしかった、と聞いたことがあるので、屋台が並んでいるところを見て、私は歓声を上げて、食べる!と言ったら、「死にたいの?」と彼に言われた。

「これらの屋台の衛生状態を見てごらん?手を洗うところある?いつ作ったものかわかる?明日食中毒で死んでも、だれも気にしないんだよ。ここで屋台出しているひとたちはライセンスも持っていない、税金も払っていない。政府はこのひとたちが存在していることすら知らない。チャイナでは5%のひとが全体のマネーの90%を有しているんだ。あとの95%のひとたちは、こうして必死でその日を生き延びて行く。だから他のひとがどうなったってそんなことに構っていられないんだ」

「多くの外国からの観光客は、こんな小さな町になんか来やしない。みんな大きな街で中国の表層しか触れていかない。こうしてこの国の中に入って見られるなんて、ラッキーだと思わない!?」

駅の周りにはバイクに乗ったひとが列をなして並んでいた。彼らは地下鉄からおりてくるひとを乗せるために待機しているという。荷物を持ったひとや二人連れのひとなどが、どんどん後ろに乗って走り出していく。このひとたちもいわゆる日本で言う白タクなのだった。

彼はバンクーバーで絶対バフェを食べない。外では徹底して火の通った温かいものしかオーダーしない。決して店員にものをきかない。他の人の言うことをまったく信用せず自分で確かめようとする。それなのに、ひとの悪意にはまったく気づかない。いろいろすごく変わっていると思ったけど、それなりの理由があったのだとここに来てだんだんわかってきた。

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☆★☆ China 中国茶とお土産 ☆★☆ Feb. 27, 2015

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家でお父さんとお兄さんがいれてくれるお茶が美味しくて(男の人だけがお茶をいれるというきまりらしい)、同じお茶を買いたいと言ったら、「偽物を買ったら困るから、買って来てあげよう」と申し出てくれた。2〜3日して見るもりっぱなお茶の箱をお土産にと渡された。それにしてもお茶の偽物とはどういう?と彼にきいたら中国には、安いフェイク物とばか高い本物しかない。プアーなひとは偽物と承知で安いものを買うのだそうだ。観光客が買うのはたいがい高い偽物。中国人の知り合いがいないと、中国で物は買わないほうがいい。ということだった。

それにしても、チャイナ残す日程なか4日なのに、まだ一度しか外に連れていってもらっていない。それも広州のダウンタウンと市場だけ。一眼レフカメラを持ってきて中国激写をイメージしていたのに。どこか観光に連れて行ってもらいたい、と言うと、「風光明媚な観光の写真は誰でも撮れる。でも中国人の家庭に入って、その生活を写真に収められるひとはほとんどいない。そのどちらが価値があると思う?」とよくわからないけど、そうかなと思える返事で納得してしまった。

それでも強く頼んで、今日は、これから一番近くの地下鉄の駅のあるダウンタウンに連れて行ってもらう。

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☆★☆ China お菓子 ☆★☆ Feb. 26, 2015

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品財が運んでくるお菓子で、最近のヒットは、ちびまる子ちゃん仕様のラスクと、お父さんが経営する工場で作られているというお菓子。ラスクのほうは柔らかくて子供の味覚にぴったりあう感触と甘さになっている。お父さん工場お菓子のほうは、私の一番のお気に入りで、これは一階の祭壇のコーナーの奥に箱詰みになっているのを発見し食べたい時はいつでもそこから食べているが、みかけはクリスピーかとおもいきや、ふあーとした感触で中にミルクの味のするものが入っている。キャラメルコートのようであり、でももっと優しい味で、こんなお菓子は食べたことがない。日本の伯母さんへのお土産はこれに決めている。

それにしてもこの家にいる限り、お腹がすくということがない。いつでも何か、勧められては口にしている。キューイーやスターフルーツ(これは庭の木からとる)、リンゴ、グレープ、スイカ等の完熟フルーツが黙っているとどんどん並ぶし。合間には、お菓子づくし。

コレは食べないかしら!?的な空気で差し出されたお菓子をパクリと食べたら、ドリアンのパイだった。結構好きなので、「ホーホーメイ」と言ったら、翌日ワンパック提供された。これを食べている時は、彼、品財も含めてだれも近づかないので、私は開封したお菓子の袋をジップラップに厳封し、持ち歩いている。

チキンの足をのぞいて中国人もぴっくりのわたしの食域の広さを、思う存分発揮している。

☆★☆ China かくれんぼ ☆★☆ Feb. 26, 2015

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何しろ大きな家なのだ。各階に納戸のような小部屋、ホールを含めれば4部屋あり、それが4階まで。4階はまだ上がったことがないが、他のフロアーの半分だというので、2部屋だとして、全部で14部屋はある計算になる。そのうち使われているベッドルームは、3階のゲストルーム(私が提供された)、同じ階の彼の部屋、2階のお姉さんファミリーの部屋、一階にはご両親の部屋、あともうひとつ開かずの間になっている部屋、そこには各扉につけられている「福」と書いてある赤い紙が天地ひっくり返しに張ってあるから、おそらく昨年相次いで亡くなったお祖母さんとお祖父さんのお部屋だったのだと推測された。他のベッドルームは夜以外はいつも扉が開いている。納戸のような小部屋にはどこもぎっしりといろいろなものが詰め込まれている。

各ベッドルームには、トイレとシャワーがついていて、トイレは和式タイプで、用を済ませたら自分で桶の水を流す。シャワーはトイレと同じレベルで使うようになっていて、いつも水が流れて清潔を保つ機能的な作りに感心してしまう。床が大理石なので、気持ちがいい。ゲストルームは洋式トイレでそこは水洗になっているが、7年間だれも使わなかったので、バスタブにはお湯を止めてしまってあるので、いつもお姉さんファミリーのお部屋のシャワーを使う。

私は一日のほとんどを2階のコンピュータールームで過ごしている。なにしろ極上のゲストとしての扱いを受けているので、お皿ひとつ運ばせてもらえない。何回かトライしたけど、ギブアップした。食べては、コンピューターに向かい、疲れたら3階に上がって昼寝する毎日。そして暗くなって花火が近くであがったら、テラスに走り、花火を観る。もうお正月は終わったはずなのに、まだ毎日爆竹が鳴り花火が上がる。

品財が、お母さんにいいつけられて、時々コンピュータールームにお菓子を届けにくる。

裕子さんからもらったメールによると、火薬を発明したのは中国人ということだ。西洋人は火薬で鉄砲を作り、中国人は花火を作ったという。その逸話はいかにも中国人らしい。

3階の卓球台のあるプレールームで、腹筋のエクササイズを朝夕して、中庭の居心地のいい椅子に座って、のんびりしたりもする。品財とこの家でかくれんぼをしたらどんなに楽しいだろうと思いついたが、小部屋にぎっしり詰まっている物たちの埃のことを考えると断念した。

☆★☆ China 飛ばない鳥たち ☆★☆ Feb. 26, 2015

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一日中、鳥の声がしているのに、家のまわりの木々をみても、一羽の鳥の姿も発見できない。飛ぶ姿はもとより。バンクーバーの海沿いにいる、美しい羽衣カラスの特徴ある可憐な声もする。鳥たちはどうやって姿を隠し続けているのだろう。食べられないための知恵が長年ついていて、このような住み方になったにちがいない。犬はいないと聞いていたが、お父さんの親族はゲージに入れて、ペットとして飼っていた。

彼が村を離れた7年前には、牛が人を運んでいたのに、いまではそれが自動二輪に変わり、だれもが、バイクで移動している。そこがさすがに中国人だと思うのだけど、3人は普通で4人で乗っていたりする。面白いのはバイクには傘がついていて、後部席のひとも覆えるように、亀の甲羅のような形。熱帯性の天候なので、雨が降っては晴れる、くもりを繰り返す南部には、とても便利だ。見かけは悪いけど、そこは細かいことを気にしない中国人風。

いま同居中の彼のお姉さん夫婦は新しく建ったお洒落なマンションを購入し、いま内装工事中で、完成したらそこに移ることになっているという。その下の階には、お父さんのお兄さん夫婦がやはり部屋を買ってシティライフを二人で楽しんでいる。

大家族主義の中国もしだいに核家族化されているらしい。時代の流れというものは、いかに大国でも止められないらしい。

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☆★☆ China お魚ランチ ☆★☆ Feb. 26, 2015

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フィッシュを蒸して、甘い中国醤油とオニオンの薬味、オイルがけは、よくバンクーバーでも彼に作ってもらった。これはお母さんの味。美味しいけど、魚が小骨がたくさんあって食べにくくて、ひとりでだいぶ時間をかけて食べ尽くした。それにしても12時きっかりに毎日ランチ。お姉さんは今日からお正月休みが終了して仕事に出かけたがランチには帰ってきた。また午後出かけるらしい。お母さんがふと私はなぜこんなに長い休暇が取れるのか、何の仕事をしているのかと謎に思ったらしく、彼を通じて聞いて来たので、この前バンクーバー新報でとりあげてもらった記事を見せて、説明したら、大納得という顔になり親指をあげてGood!をした。

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☆★☆ China 漢字会話 ☆★☆ Feb. 26, 2015

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なにしろお母さんとは、「ホーホーメイ(美味しい)」と「ゾウサン(おはよう)」でしか言葉では会話できない。彼は最初から重要なところをのぞいてはまったく通訳してくれないので、漢字を書いてコミュニケーションを図ることにした。まず、お粥とスープの作り方を教えてもらいたくて、材料の写真を撮った。袋に書いてある名前を、ノートに漢字で書き出したら、それを見てお母さんは、「ほう!」というように、少しびっくりしたようだった。そして、優しい声音で、「漢字は中国が作ったのよ(実は、、、というふうに)」と小さく言った。通訳してもらって、わたしは、すぐに、ノートに、「偉大母、感謝、謝謝」と書き、「美味料理→幸福、楽、喜」と書くと、彼女は小さく笑った。そして、続けて「中国漢字→日本、謝謝!」と書いたら、ほっとしたように大きく笑った。

漢字は日本に奪われた、と彼は学校で習っていた。おそらくお母さんもそのような認識があるに違いない。日本と中国が2000年に渡る交流があったとは、メインチャイナの学校では教えていないらしい。(それでわたしは、この中国滞在のあと日本の奈良の平城京跡に彼を連れて行くことを決めている。)

これから学校に行く品財も、日本人は鬼だと習うのかもしれない。でもそんなことがなんだというのだろう。一瞬のひととひとのふれあいは、こうしていつか長い間の確執さえも溶かしてしまう。それを私はいま証明しているではないか。

反日家のお祖父さんは彼が生まれたとき、カナダとトロントという名前を付けた。当時は中国人の主なカナダ移民先はトロントだったのだという。お祖父さんにカナダへの夢を託された彼が、カナダに送られ、そして今回、お正月に、一族の敵とも思ってきた日本人の友達を伴って7年ぶりに帰国した。まだ自分たちが行ったこともない地球の反対側で息子がお世話になっているときけば、家族はその日本人を受け入れざるを得ない。その絵に描いたようなパラドクスの構図の中で、中国人の持つありえないほどの懐の深さを今じかに感じている。

☆★☆ China 夕ご飯と月、チャイニーズダンス ☆★☆ Feb. 26, 2015

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今日の夕ご飯は、お父さんの弟が調理していた。手前の蒸し卵は茶碗蒸しのような風味で、中にシャキシャキする野菜が入っていてすごく美味しかった!!!ビーフと人参の煮込み、ポークと大根の煮込み、チキン料理と、たっぷりの青菜。とても食べきれない量で、だいぶ残った。それらは全部捨てられる。決して次の食卓には出てこない。私はタッパーに入れて持ち帰りたいと毎回心から思う。

夜8時にお母さんがダンスに連れて行くというので、かなり身構えた。どんなダンスなのか、、、、、?彼が、「ロブソンスクエアで無料の社交ダンスがあるだろう。あれと同じ」というので、ラフなTシャツにセーターを着て一緒に夜道を出かけた。初めて村の中を歩く。いつも車だから。いろいろな家が並んでいた。どこも扉は全開なので、中は見放題。でもあまり見てもいけないので、さっさと緊張しながら歩いた。いろいろな匂いがする。香辛料や、お茶や、チーズのような匂いや、、、。ひとが生き生きと生活しているにおいだと思った。ふたりとも黙って歩いた。手帳がふたりのあいだにはないから、会話の手段がない。通りを曲がると涼しい風が吹いて来て、川沿いだった。空には月が出ていてオリオン座も見えている。夜には空は晴れるのだとわかった。川沿いをしばらく歩くと、大音響の音楽にたどり着き、そこが、野外のダンスホールだった。女の人ばかりが4列に並んで、40人くらいがステップを踏んでいる。私とお母さんもそこに加わり、先生らしいひとを見ながら、やってみる。動きが速すぎて、とてもフォローできない。どんなダンスとも違う独特な動き方で、まったくついて行けない。

それでも20分ほど経ったころ、同じようにセクシーに腰が振れるようになった。手もなんとか、、、、日本の盆踊りにも近い動きだけど、、、ついていっている感じだ。ときどきお母さんが、「いいわよ!」というふうに親指をグイとして、私に笑顔を向ける。曲と動きはどんどん変わり、それは1時間も続いた。汗をかいたのでセーターを脱いだが、腕を出しているひとはひとりもなく、お母さんが心配するので、無理矢理また着た。私が風邪を引いたら大変だといつも心配している様子なので、くしゃみも出来ない。それこそくしゃみなんかしたら、マフラーとかかけられてしまいそう。

時々咳が出ていたのがいまではすっかり止まっている。

帰り道は壮快だった。ものすごい運動量で、へとへとだったけど。これでチャイニーズダンスもクリア!!

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☆★☆ China ディムサム豪華レストラン ☆★☆ Feb. 25, 2015

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昨夜はお腹がいっぱいで眠れなかったので、大好きなアニメーション「弱虫ペダル」を観て眠りについたら、朝早く起こされて、朝食はディムサムを食べに外に行くという。やっと持ってきたチャイナドレスが着られると喜んで支度。お父さんのドライブで着いたところは、豪華なホテルの一階にある巨大レストラン。お父さんのお兄さん夫婦もジョインしてテーブルを囲む。そしてきゃああ、家族写真!!私が目立っているけど、そんなことは、だれも気にしていない。お母さんはNEW YORK CITY着てるし。

きのう、お父さんが「日本に行ってみたい」と突然の爆弾発言。この前まで、「中国政府が日本にミサイル打ち込むって言ってるからいっちゃダメだよ」と、彼に電話で言っていたお父さんが。私は何度も彼の通訳を聞き返し、飛び上がった。うれしくて。そしてお父さんに指切りを迫ったら、お父さんは笑いながら指切りにすでに親指のハンコウを用意していたのだった。お母さんにも指切りげんまんハンコウをもらい、わたしはここにきて初めて泣いた。

中国と日本、どっちも、素晴らしい。

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☆★☆ China 餃子作り ☆★☆ Feb. 24, 2015

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餃子作りに参加できるというので、ものすごく張り切った!!なにしろ、わたしは、当時餃子巻きのバイトをしていた友人の真理子さんと100個バトルで競い合って勝ったという華々しい経歴を持っている。餃子ならまかせて!と腕まくりして挑んだが、最初の10分で、勝負にならないことを実感した。お姉さんとお母さんの無駄のない動き、形のきれいさ、スピード感。餃子の皮が極薄でやわらかくてとても扱いにくいことも敗因のひとつ。まだ巻いているうちに、お母さんはスティームして仕上がった餃子を目の前に置いて、食べろという。なんという美味しさ。私は作業を投げ出しひたすら食べた。50個は食べたと思う。残りは夜9時にまたクックするという。そしてビッグなディナーのあと、夜9時きっかりに、お姉さんがパンフライ餃子を焼いてくれてわたしは10個食べた。さすがに食べ過ぎて、胃の薬飲んでしまった。ふう。美味しいものはいつまで続くのか、、、。

☆★☆ China ホットポット ☆★☆ Feb. 23, 2015

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わたしがいつも水のボトルを離さないのにいち早く気づいたお母さんは、水のコンテナから水を入れているのを見て、山の水だから一度湧かさないとダメと、湯冷ましを作ってくれる。そしたらその情報はあっというまの家族中に伝わり、(私がいつも水がいるという)、みんなが、湯冷ましを作ってくれるようになり、水ボトルは、少なくなるといつもまにかいっぱいになっている。

そこで、中国ではじめてのお鍋なのだが、これがすごかった!!!!彼は裸足で椅子の上に乗っかってしゃがみ、さあ、たべるぞという体勢。はじめにすでに冬瓜とチキン(お約束の庭からの)が煮込んである大鍋がテーブルにのせられ、ユリネや知らない野菜が足され、薬味は、ショウガと青ネギを刻んだ中にオイルと醤油をいれて、そこにつけて食べる。煮込まれた冬瓜は口の中でとろけ、ユリネはシャキシャキと気持ちのいい歯触り。好きなエノキはいつ入るのだろうと思っていると、3回冬瓜が足されたあと、次がエノキの番だったが、その量は、大束が10束ほど、大きな金だらいにいっぱい。でもあまりにも美味しくてどんどん食べてしまう。そのあとは、ビーフボールと太い山芋、これがまたやわらかくて舌触りは最高。そのあとは、大バケツ一杯くらいのお母さんの畑からのレタス、、、、。

食べに食べて、もうどこにも入らないまでになったけど、ほかの家族の誰も箸を置かない。私はそのあと1時間くらい、あっけにとられてみんなの食べっぷりを見守るのみだった。そうした大食欲合戦の中でも、お母さんは私の視線に鶏の足が入らないように、手で隠してくれて移動している。何も言わないのに、どうしてこんなになんでもわかるのだろう!?ここの家族はみんな魔法使いなのか!?

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☆★☆ China 市場へ ☆★☆ Feb. 23, 2015

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夕食の材料を買いに市場に行った。駅のそばに大きな市場が出来ていて、自分の畑で採った野菜を売っている。申し出れば好きに場所を確保できるそう。野菜はお母さんの菜園のように、生き生きとしていて、どれも新鮮そのもの。お姉さんは大きな冬瓜やえのきや大根やいろいろ買った。夕食はお鍋ということだった。

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 ☆★☆ China あっと驚くショッピングセンター ☆★☆ Feb. 23, 2015

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本屋さんのあとはショッピングセンターへ。このショッピングセンターが、赤提灯と中国語がなかったら、表参道ヒルズだと言っても誰も疑わないだろう。あらゆるブランドが入っていて、建物じたいもすばらしく豪華。値段はどれもかなり高い。そしてここもたくさんのひとで賑わっている。中国って一体どうなってるの!?あのバナナ畑に住んでいるひとと、ここに買い物に来る人、、、。聞きしに勝る貧富の差があるにちがいない。

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☆★☆ China パッションフルーツのお茶と本屋さん ☆★☆ Feb. 23, 2015

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旦那さんの実家に行っていた同居しているお姉さん家族が家に戻ってきた。5歳になる男の子が帰ってきて急ににぎやか。わたしにちっともなつかない。手をつなげばふりほどく、頭なでればするりと抜けていく。名前をきいたら、「ヒンザイ」だというので、私の頭の中では、「貧材」になった。夕食のあと、お父さんがみんなの写真をi-phoneで撮っていたら、貧材が、貸してくれとせがみ、椅子の上に乗って、連写していたが、あとで見てみたら、全部わたしを写していた。それで私の頭のなかで、名前は「品財」に変換。あ、きみは品のある財宝だったのね。

その家族と一緒に翌日は広州のダウンタウンに。地下鉄に乗って。はじめての地下鉄に興奮気味だったが、東京の地下鉄よりももっときれいで整っていて快適。広州のダウンタウンはまだお正月中とあって閉まっているお店が多かったけど、人では原宿くらい。本屋さんのビルがそびえたっていて、最上階の4階の子供の本のところまで、あふれるほどの人人人。中国人がどれほど本好きかわかる。特に、経済のコーナーの充実度は半端ない。みんな眼鏡をかけている。同じ階に眼鏡コーナーもちゃんとあるのが面白い。

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人ごみにというより、漢字だらけの本にすっかり疲れてしまい、パッションフルーツでお母さんが作ってくれた飲み物をディスプレー棚に置いたら、定員さんに注意された。ゴロゴロと引くカートにみんなたくさんの本を入れて(中には子供を入れているひとも)、レジに並んでいる。服装に注意を向けてみたが、女のひとはみんなびっくりするほど短いスカートにスパッツ姿。グッタリしたような服装のひとは少なく、小ぎれいできちんとしていて、連れている子供たちには本当におしゃれさせている。

★☆ China すべてがオーガニック ☆★☆ Feb. 23, 2015

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お昼ご飯は、野菜とお肉の組み合わせが何種類か出るのだけど、どれも薄味で、新鮮な素材の味が生きている。お母さんは屋敷の周りにぐるりと畑を作っていて、毎日そこから野菜を抜いて調理するので、野菜はとてつもなく美味しい。きのう新しい鶏が二羽やってきた。放し飼いファームから食べる直前に買ってくるそうだ。ということは、近々また、、、、。汗。でもこれがここの食文化なのだ。蠅はぶんぶん飛んでいる。バンクーバーの暮らしの中では、一匹の蠅が部屋にいるだけでも耐えられなかったのに、なぜだろう、、すっかり平気になりいまではまったく気にならなくなってしまった。すべてはオーガニックだから、ここのひとは農薬という名前さえ知らないだろう。

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★☆ China お粥とスープ ☆★☆ Feb. 23, 2015

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お母さんは、中庭の隅で竹の廃木を焚き付けにして、スープやお粥を炊くのだけど、これが本当に美味しい!!毎朝の食事はいろいろなものが入ったお粥で、スープで煮てあることもあるり、朝から食欲が増してしまう。鶏と小鳥の鳴き声と、お粥の炊ける美味しそうな匂いで目を覚ます幸せ。お粥には、放し飼いの鶏の卵をお茶で煮てある小振りのゆで卵がとてもあう。

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★☆ China グレーの空と古瓦☆★☆ Feb. 23, 2015

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いったいお正月はいつまで続くのだろう!?毎日土崩れが起きたかと思うほどの爆竹が鳴っていて、夜は花火が上がる。本当に中国人は花火好きだった。豪音に耐えられる耳と心臓がすごい。親戚のひとの家から見下ろす瓦屋根はところどころ壊れていて、もうすこし時代が進めば、みんな風化してしまいそう。それに新しい建物とのハーモニーはまったく見られない。細かいところにこだわらないのが中国風なのだろう。でもひとの気遣いは半端なく細かい。何も言わなくてもこちらが必要だったり欲しいものは察してくれて、すぐにそれが目の前に供される。それはここで会う大人から子供まで、総じてそうなのだ。

毎日天気は移り変わりが激しく、晴れたと思ったら曇り、雨、晴れ、曇りと忙しい。晴れても青空は見えない。一日中、グレーの空が広がっている。村に経済の活性をもたらした工場は、結果として人々から青空を奪ったことになるのだろうか。バスの中からバナナ畑とグレーの空を見ながら、「毎日グレーの空だったら日本人ならみんな鬱病になっちゃうと思う。なぜ中国人は平気なの?」ときくと、彼は、「中国人は楽天家なんだよ」と答えたが、細かいことにこだわらないおおらかさは確かに毎日感じる。

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★☆ China 海鮮市場とレストラン ☆★☆ Feb. 22, 2015

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サメとかカニとかエビとか、ありとあらゆる魚が泳いでいる水族館のような市場。

★☆ China 30人でランチ! ☆★☆ Feb. 22, 2015

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お父さんの親族のあとは、お母さんの親族のところへの訪問で、こちらのほうはけっこう軽く考えていたのだが、日本人が同行するとは知らされていなかったらしく、到着して、お母さんが口数少なく、何か説明し、お母さんの両親もその兄弟たちも、その他の30人ほどの親族も、社交的な笑顔ではあったが、なんとなくぎこちなさが伝わってくるので、私は思わず小さくなった。彼のお母さんの一族は、戦争中に日本軍によってすべてを奪われ、貧困をしいられたひとたち。反日感情がないはずはない。まして誰もが初めて近くに接する日本人なのだった。お母さんは小さいとき、食べ物がなくて、サツマイモしか食べなかったので、いまもサツマイモが食卓にのることはぜったいないということだったし。

そんなちょっとした緊張の瞬間、彼のお父さんがにこやかになにか話しだした。通訳をしてもらうと、「この子は、何をすすめても喜んで美味しそうに食べるので、一緒にいて楽しいんだよ」

なんとその一言で、場はぱあっと明るくなり、私の前には、つぎつぎと、お菓子や蒸し物や、ナッツや、いっぱいになった。あちこちから手が延びて、みんながうれしそうに私が食べるのを見ている。それらが本当にホームメイドの美味しさと温かさに満ちていて、どんどん食べた。

しばらく談笑が続いたが、みんなでランチに行くという。みんなといっても、30人以上なので、お父さんの車の後部座席は、私を含めて5人になった。車は普通のセダンなので、ものすごい窮屈だったが、レストランまで、ポリスに停められることもなく、到着。

海鮮がずらりと勢揃いする魚市場のようなところに併設されたレストランはだだっぴろくて、迷うほど。オーダーはお母さんの親族がして、エビやホタテや、みたこともないポークのお料理が、並び、ふたテーブルに分かれた人たちは、軒並み平らげた。

あとで彼に聞いて驚いたのは、このレストランでお父さんが払ったランチ代は、2500ドルで、これは公認会計士のお姉さんの一ヶ月の給料の額だということだった。中国は男のひとはすごく大変だ。ダンディなサクセスお父さんとのツーショットを特別公開。

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★☆ China お年玉☆★☆ Feb. 21, 2015

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もともとこの村は500人の人が住むだけの過疎の村だったのだという。チャイニーズの彼の去年他界されたお祖父さんが、ここに工場を建てたり、住宅を建てたりして、外から人が入ってこられる土台を築き、経済は活性化して、いまでは2000人のひとたちが住んでいる。一日中鳥のさえずりが聴こえる平和な村になったのだという。

バナナ畑のあたりには鳥一羽飛んでいなかった。みんな食料になってしまうため、動物はまったくいない。そのお祖父さんは戦時中の経験から、大変な反日家だと聞いていたので、この村に戦後初めての日本人として、かなりの覚悟でやってきた。一番緊張したのは、そのお祖父さんの弟さんのお家を訪ねる際で、お正月とあって、そこには一族が30人ほど集まっていた。みんな日本人がやってくると知らされていた様子で、まずその奥さんが私を出迎えてくれ、お祖父さんの弟さんが、お茶を出してくれて、タバコを勧めてくれた。タバコはすわないというと、お菓子やいろいろなお正月用の食べ物を私の前に並べてくれた。

だれもがにこやかで、温かく、とても気をつかってくれているのがわかり、肩の力がスーと抜けていった。何回も練習してきた、「ギントーレー・ホーイサム」(お目にかかれてとてもうれしいです)を数えきれないほど、ひとりひとりに言って、最初はそれが広東語だとは誰にも気がつかれなかったのだが、途中、一人が気づいて、それからみんなわかってくれて、それからさらに前に並べられるお菓子が増えていき、みんながくちぐちに、私の仕草が可愛い!といっている。

そのたびに、「シエーシエー」や「Thank you!」や、「ウーンゴイ」(ありがとう)を繰り返しているうちに、もうなんだかわからなくなり、「メルシー」などと言ってしまっていたが、その頃にはみなさんは大声でしゃべりあっていたので、誰も気がつかなかった。

帰り頃、私は初めての中国のお年玉を手にしていて、また会いましょう!と口々に言ってもらうことができて、本当にうれしかった。ささやかな日中国交の架け橋になっただろうか?

★☆ China お洗濯☆★☆ Feb. 20, 2015

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広州の2月は寒いときいていたので、覚悟していろいろ用意をしてきたのだが、とてもあたたかく、庭には涼しい風が吹き渡り、居心地がいいので、椅子にこしかけて、本を読んだりして時間を過ごしている。ここのお母さんは洗濯を手でしている。庭のはじに、井戸があり、そこから水をくみ上げて、ゴシゴシ洗う。その様子があまりに気持ち良さそうで、私もやってみたら、井戸の水はとても温かく、これなら冬でも問題なく手洗いを続けられると納得。

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★☆ China さよなら友達 ☆★☆ Feb. 19, 2015

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門を入ると広いスペースがあって、感じのいい中国式仕様の噴水があった。前は水が流れていたけど、いまは、そこは亀が3匹と鶏が放されている。鶏は茶色でチャボなのかもしれない。一緒にコケコーと言いながら遊んでいたら、返事をするようになって、可愛いお友達ができたと喜んでいたら、一羽は翌日、食卓に、ソイチキンとなって、のっていた。美味しそうだったけど、さすがに一切れした食べられなかったあ。中国の食の歴史はそんなに甘くはなかった。

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★☆ Chinaに到着した日 ☆★☆ Feb. 17, 2015

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この広州の小さな村に着くまで、香港からバスで国境を越えて中国本土に入り、そのあとは一面のバナナの木のファームを見ながらの2時間、バナナ畑の切れ目に時々アパートが登場するけど、明かりはなくて、まるで廃屋のような感じ商店街にもひとっこひとり、車一台いない。思えば到着は大晦日なのだから、だれもが自分のふるさとに帰っているということだった。そしてそのあとは、ひたすらバナナ畑で、畑の間に、青い小屋が建っていて、その同じ形状の小屋はその後も次々と登場した。人がいないだけではなく、鳥一羽飛んでいない。その青い小屋は自分たちで建てた家で、そこに人が住んでいるのだという。トイレもお風呂もないということだった。

滞在先の彼の家が小さい村だときいていたので、この辺から少し不安が押し寄せてきたが、到着してみたら、4階建てで、門を入ったところから大理石張りの驚くような豪邸。お正月の飾りも映えて、提供されたゲストルームはフルバス付きの洋式トイレで、天蓋付きの寝心地のいいベッドのあるお部屋だった。そして快適なごちそうを食べては昼寝という贅沢なチャイナでの休日が始まったのだった。

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★☆ China新春節 ☆★☆ Feb. 18, 2015

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中国広州滞在中。こちらの新年の大晦日に到着した。毎日爆竹と花火の豪音が続いている。広州でも小さな村なので、観光客も今まで2〜3人とか。戦後日本人が足を踏み入れるのは私が初めてだということだ。そんなちょっとドキドキの訪問だったが、来てみると、誰もが優しくフレンドリーに接してくれる。めったに遭遇できない獅子舞も間近で見て感動!地面に散っているのは爆竹。爆竹が破裂する中、中に十代やもっと小さな子供が入った獅子舞が踊るのだけど、怖いというより動きが可愛くて、楽しい。人々はみんなお正月ということで、赤い服を着ている。着ていないひともいるけど。

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★☆ グリークもなかなか奥が深い ☆★☆ January 20, 2015

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久しぶりにデイビー通りのステフォーズでディナーをしてみた。ガーリックシュリンプをオーダーして,お腹も空いていたけど、あまりの美味しさに一気に平らげて大満足。グリークサラダもたまに食べると、大きめにカットされた生野菜の歯触りが新鮮で美味しい。大ぶりのポテトフライも中はほかほか外はかりかりで、食感に訴える。それになによりリーズナブルな価格設定がうれしい。

★☆ 新ページ,「愛するフードトラック」 ☆★☆ January 20, 2015

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来月からスタートする新企画「愛するフード•トラック」の取材のために、アートミュジアムまで行って、すっかりストリート•フードのとりこになってしまった。バンクーバーは世界一といっていいほど、フードビジネスの難しい街。ニューヨークもだけど、その比じゃないと言われる。よほどのクオリティーじゃないと、食べる人たちの舌が超えているから生き残れない。とくに、ストリート•フードはしのぎを削っている。2月号からひとつづつ徹底取材をしてみようと張り切り画策中。

★☆ 新ページ,「名鑑定Shinzoくん」 ☆★☆ January 18, 2015

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2月号からスタートする新企画のページの取材に、11歳のShinzoくんのお部屋に行ったら、見事な聖壇が作ってあって、びっくり。彼は真言宗の帰依者で、チベット密教も信仰しているとのことで、さらにびっくり。軽くヒーリングまでしてもらって、なんだか、どっちがヒーラーなんだかわからなくなり、、、。とにかく11歳のブランドオタク少年の名鑑定、どうぞお楽しみに!!

★☆ Happy New Year! ☆★☆ January 4, 2015

 

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年頭に歩くビーチ。厳寒に震える身体に、さらにフレッシュな海風を運んで来た。ウエブマガジンも4年目に入り、新しい寄稿者も次々決まって、より活気ついている。2015年、どんな年になるのだろう!でも何があっても、ひとが行く先に描く未来は、穏やかでやさしいものであってほしい。そのためには元気な身体と心が不可欠だから、今日も美味しいものをたくさん食べて、楽しむ。今年もよろしく!!!